アーカイブ - 伺か (1 / 3)

初心占い師ほたるひのき “the ChopSticks”まっちゃみるく。をネットワーク更新しました。
各コンテンツのGitHubへの移行に伴い、ネットワーク更新URLを変更しています。
普通にネットワーク更新をお願いします。

MATERIAをお使いの方へ

今回の変更で、MATERIAではネットワーク更新ができなくなってしまいます。
これはおそらく、ネットワーク更新URLが「https://」で始まるURLになるためです。

アーカイブ更新を待っていただくのが最も簡単ですが、手動でネットワーク更新を適用することもできます。
くわしくはこちらのページをご覧ください。
https://github.com/numaduki/ukagaka-ghost-hotaru

それ以外の要素については、引き続きMATERIAでも使えます。
これからもよろしくお願いします。

初心占い師ほたるのトークを追加しました。
「マ?」の話。

個人的には「マ?」は成立過程が想像できるというか、きっと

  1. やたら「マジ?」と言う人がいた
  2. ふとしたときに「マジ?」と言えずに「マ?」と言った
  3. みんながそれに対し「マ?」と思った
  4. みんな使い出した

という背景があるんだろうなぁ、要するに水面下でみんなが「いいね!」と思って、それが自然とシェアされた、そういう成立過程に自然なグルーヴ感あっていいなぁ、と思えて好きです。
あと「マ?」だけでは「マジ?」の略語として成立しないので、イントネーションや表情といったメタ情報が必要なあたりも人間くさくていいなと思います。
ただその一方で、あまり私の心にフィットしない省略語もあります。それは「とりま」です。

おそらく「とりあえず、まあ」が「とり、まあ」と略され、それが「とりま」になったのだと思います。
ただ、「まあ」というのは、会話中において、次に発する言葉が見つかるまでの静寂を打ち消すために発され、かつ「まあ」の「あ」の形で口を開けたままにすることで発話中であることをビジュアル面でも明示する、高度な言葉です。そして聞き手も、その「まあ」を受けて何も言わずにスタンバる、という行動を自然発生させる、そういうとても人間らしい言葉でもあるのです。
それを「とり」と結合して「とりま」とワンフレーズにしてしまったら、もともとの「まあ」の機能が死んでしまうように思うのです。

伝統を抹殺せんとするとりま勢:とりま……………………マックに行こうぜ。
伝統的なまあによる効果的発話:とりあえず…………まあ…………マクド行こか。

どうでしょうか。

ドヤ顔で「…」を8個を並べてもスルーしてもらえるのは江戸だけです。
上方では「…」は4つより多く並べると言語中枢に何らかの問題が発生していると理解され、どうしてこんなになるまで放っておいたんだと人だかりができ、それでも症状が続くとなんばグランド花月からほんわかぱっぱーを鳴らしながら救急車がやってくると聞きます。情に厚い地域だといえます。

一説によると、日本人の約八割は口呼吸らしいです。
「まあ」で口が開く様子と、口呼吸でぽかんと口を開けている様子には通じるところがあり、自分は「まあ」でお口ポカーン、相手も口呼吸でお口ポカーン、互いにお口ポカーンで会話の行方、日本の行方、世界の行方、人類の行方、終末へと流れる時の行方を見つめる、それが日本語なのではないでしょうか。

私はこの「まあ」のメタ言語的意味の重要性、それによる会話空間の雰囲気醸成のメカニズムを「お口ポカーン効果」と名付け、インターネットで広く発信することで、世界にお口ポカーンを広めてまいります。
ネットワーク更新よろしくおねがいします。

* * *

そのほかの主な変更点としては二つ。一つはダイスの改良です。
「マイナス2面体」「マイナス1個」といった人智を越えたリクエストに対し、きちんといぶかしげな反応をするようになりました。

ダイスをマイナス3個
……0なの?

もう一つは、バルーンメニュー(ほたるは「その他の設定」内)への「ウィンドウの左上に移動」追加です。
起動時に私の環境でマスカレードが行方不明になってCtrl+Shift+F12でも戻ってこない場合がよくあるので、そういう時のための機能です。ただそもそもどっちも表示されない場合には使えないので、まず伝統的手法でどっちかを連れ戻してください。

初心占い師ほたるの祝日判定の問題修正と、マスカレードのメニューに「今日は何の日?」を追加しました。
ネットワーク更新で取得可能です。

なお、今回はトークの追加はありませんが、祝日が正常に判定されるようになったことで、今まで見られなかったトークが見られるようになるかもしれません。
なお、昨日(スポーツの日)に関するトークは特にありません。すみません。

せっかくのオリンピック開会式の日だったので何かそれっぽいトークを書ければ、とも思っていたのですが、ほたるとオリンピックがどうも結びつかないというか、「街が賑やかだねぇ」とか「日本人じゃない人がたくさん街を歩いてるねぇ」とか言わせるのもご存じの通り事実に反しているのでおかしいし、「せっかくだけど私たちとはあんまり関係ないね」「来年からコミケの会場が戻ってくる……」とか言わせるのもオリンピックが好きな人の気分を下げてしまうようで嫌だし……とかいろいろ考えているうちに時間がなくなってしまいました。まあオリンピックに限らず、あんまりサブカル系ではない現実のイベントをネタとして使うのは(よほど面白くなるという確証がない限りは)やめとこう、という感じです。

開会式は生放送で見ました。
イベントお祭り大好きでシャイな純日本人なので、20時からほぼ24時まで、4時間弱くらいぶっ続けで見ました。感想はネタバレになるのであえて書きませんが、少なくとも「見ることで精神的に怪我する可能性は低い」と判定しますので、実際に再放送やネット配信等で見ていただくのがいいだろうなあと思います。
ただ、視聴のヒントとして書いておくと、選手入場が始まってから終わるまでの間に特別に何かがある(会場に明確な変化があるとか、何かの映像が挿入されるとか)わけではないので、選手入場は別にいいかな……という人はガッツリ飛ばしても大丈夫だと思います。
あと、個人的には橋本聖子会長のスピーチは心に訴えかけてくるものがありました。政治家の話は聞くに値しない……と思う人もいるでしょうが、政治家というよりもアスリートとしての立場からのスピーチだったかと思います。氏に何の思い入れのない私でもほう、と思ったので、アスリートとして活躍していた頃を知っている人にはさらに響くのではと想像します。選手入場よりもさらにすっ飛ばされがちなシーンだとは思いますが、もし心に余裕があれば。

初心占い師ほたるのトークを追加しました。ネットワーク更新で取得可能です。
寝ていてもうちわが動くガールの話。

伺かとか、あるいは繰り返し見る可能性の高い会話形式のコンテンツの場合、最初に見た時は「?」て思うけど、また見たら「あぁ……そういう面白さだったのかこれ」ってなるようなトークが色んな意味でいいトークなのかもしれない、と思っているところがあり、そういう意味では今回のトークはそういうトークかもしれません。別に何か深みのあるトーク、というのではなく単純に少しわかりにくいトークです、ということなのですが、まあ私ももう三十代も後半になってしまっているので、若に時代特有のあまり意味もないこだわりというものもありません。もしかしたらハートマークも初めて使ったかもしれない。

さて、三十にして立つ、四十にして惑わず、という言葉があります。前述の通り私は三十代をあと数年で終わるというフェーズを迎えているのでもうかなり立っているはずなのですが、それでもなお言葉の意味の思い違いをしていることが少なからずあったりします。なので、今回も念のため「寝ていてもうちわの動く親心」という川柳の解釈を調べてみたのですが、案の定、思っていたのと違う解釈がありました。
おそらく一般的には「暑い中、赤ちゃんが涼しく眠れるようにうちわであおいでいる」と読まれると思うのですが、渡辺信一郎著「江戸川柳」(岩波書店)を引用するコラムによると、乳を飲んで寝込んだ赤子に添い寝している母親もウトウトとし、それでも赤子にたかる虫を寄せ付けないようにと、手にした団扇だけは扇ぎ揺らせているという光景で、赤子に対する母親の気遣いの様子が描かれています。それとともに、赤子に風を送り涼しくしているとも考えられます。とのこと。
上記がこのコラム筆者の独自見解なのか、書籍にそう書かれていたのかは定かではありませんが、普通は何らかの知見がなければ「うちわであおぐ=虫を寄せ付けないため」とは解釈しないと思うので、書籍の中でそう紹介されているんだろうなぁと想像します。なるほどその機能があったか。
しかしその一方で、赤ちゃんが冷えすぎない程度の風圧を発生させたところで虫は退散してくれるもんだろうか? 向かい風に耐えて赤ちゃんにたかってくるのではないだろうか? とも思うわけですが、夏の虫と言えば蚊、あいつら見た目にもそんなに頑丈ではなさそうなので、意外と風を送るだけでもいけるのかもしれません。
あるいは江戸時代の川柳なので、当時の衛生状況を考えると蚊よりも蝿のほうがウザがられていた可能性もあり、であればあいつらちょっと気配をちらつかせただけでも飛んでいってしまうので、やっぱりうちわは蚊というより蝿シフトなのかもしれません。
いやあ、文芸作品は時代背景を踏まえて読むのが重要なんですね。ちょっぴり立ちました。

コラムの方にもうちわについて思うところを書いていますので、よろしければお読みください。
プラスチックうちわが如何に切ない存在なのかを説明する前半
厚紙うちわがなぜ日本うちわ協会に公認されないのかについてを考察する後半

初心占い師ほたるのトークを追加しました。ネットワーク更新で取得可能です。

ほたるの全財産はそもそもビンところかワンカップ大関の底が埋まるかも非常にあやしいレベルに違いないので、ビンに入れてとっておけないの? という発想はおそらく「みんなお金には困ってるようだし、自分と大して変わらないくらいじゃないかな」と思っているが故のことであり、まさか街を往く人々が少なくとも一時間に800円、多ければ月に何十万とかいうお金を手にしているなんて思いもよらないのかもしれません。しかしそれを知っているマスカレードは「普通の人の全財産はビンでは足りない」というツッコミを入れる、そういう世知辛いトークになっております。

ということなのですが、実のところ「一般的に入手できる範囲の大きめの瓶に、全財産を札で入れる」という条件なら、大抵の人は入りそうです。紙の帯で巻かれている100万円の束の厚みは1センチ、かつ1万円札のサイズは長辺16センチ・短辺7.6センチなので、ビンの入口の窄まりはひとまず無視するとして、底が8センチ四方、高さ16センチくらいの容量の四角いビンの中には最大800万円が入ることになります。昔の大きめのインスタントコーヒーの瓶がちょうど該当するんじゃないでしょうか。ただ、いつかは口から取り出す必要があることや、紙幣の皺や折れ曲がり等による隙間の発生も考えると、現実的には500万円くらいの単位で瓶を用意する運用になるかもしれません。

インスタントコーヒーの瓶ですら800万円入るわけなので、梅酒を漬ける瓶とか、長崎の葬式でお供えする砂糖瓶とか、そういったラージサイズなら全財産入る確率はかなり高いといえます。自分の輝かしい将来を見越してポリタンクとか持ち出してくればもう確実に入るわけですが、灯油を入れないように気をつける必要があるので、表面にデカく「現金」と書いておく必要があるのと、入れ方が乱雑になりがち、さすがに大きすぎるので領域が余りがち、中身が見えないので減ってないか気になってたびたび覗きがち、といった問題がありそうです。みなさんの全財産は瓶の中に入りますか? 日本人の平均貯蓄額が1万円札で入る、ちょうどいい瓶って何なんでしょう? これってトリビアになりませんかね?

なお私については、今のところ死蔵してある分のインスタントコーヒー瓶で十分な見通しです。何個あるだろう。