初心占い師ほたるのトークを追加しました。ネットワーク更新で取得可能です。
寝ていてもうちわが動くガールの話。

伺かとか、あるいは繰り返し見る可能性の高い会話形式のコンテンツの場合、最初に見た時は「?」て思うけど、また見たら「あぁ……そういう面白さだったのかこれ」ってなるようなトークが色んな意味でいいトークなのかもしれない、と思っているところがあり、そういう意味では今回のトークはそういうトークかもしれません。別に何か深みのあるトーク、というのではなく単純に少しわかりにくいトークです、ということなのですが、まあ私ももう三十代も後半になってしまっているので、若に時代特有のあまり意味もないこだわりというものもありません。もしかしたらハートマークも初めて使ったかもしれない。

さて、三十にして立つ、四十にして惑わず、という言葉があります。前述の通り私は三十代をあと数年で終わるというフェーズを迎えているのでもうかなり立っているはずなのですが、それでもなお言葉の意味の思い違いをしていることが少なからずあったりします。なので、今回も念のため「寝ていてもうちわの動く親心」という川柳の解釈を調べてみたのですが、案の定、思っていたのと違う解釈がありました。
おそらく一般的には「暑い中、赤ちゃんが涼しく眠れるようにうちわであおいでいる」と読まれると思うのですが、渡辺信一郎著「江戸川柳」(岩波書店)を引用するコラムによると、乳を飲んで寝込んだ赤子に添い寝している母親もウトウトとし、それでも赤子にたかる虫を寄せ付けないようにと、手にした団扇だけは扇ぎ揺らせているという光景で、赤子に対する母親の気遣いの様子が描かれています。それとともに、赤子に風を送り涼しくしているとも考えられます。とのこと。
上記がこのコラム筆者の独自見解なのか、書籍にそう書かれていたのかは定かではありませんが、普通は何らかの知見がなければ「うちわであおぐ=虫を寄せ付けないため」とは解釈しないと思うので、書籍の中でそう紹介されているんだろうなぁと想像します。なるほどその機能があったか。
しかしその一方で、赤ちゃんが冷えすぎない程度の風圧を発生させたところで虫は退散してくれるもんだろうか? 向かい風に耐えて赤ちゃんにたかってくるのではないだろうか? とも思うわけですが、夏の虫と言えば蚊、あいつら見た目にもそんなに頑丈ではなさそうなので、意外と風を送るだけでもいけるのかもしれません。
あるいは江戸時代の川柳なので、当時の衛生状況を考えると蚊よりも蝿のほうがウザがられていた可能性もあり、であればあいつらちょっと気配をちらつかせただけでも飛んでいってしまうので、やっぱりうちわは蚊というより蝿シフトなのかもしれません。
いやあ、文芸作品は時代背景を踏まえて読むのが重要なんですね。ちょっぴり立ちました。

コラムの方にもうちわについて思うところを書いていますので、よろしければお読みください。
プラスチックうちわが如何に切ない存在なのかを説明する前半
厚紙うちわがなぜ日本うちわ協会に公認されないのかについてを考察する後半