部屋にうちわを常備しました。
本来であれば竹や和紙で作られた趣のあるうちわをチョイスするところなのですが、なぜか今の私の部屋には黄色いバックグラウンドに変なさるが描かれたプラスチックうちわしかありません。
竹や和紙で作られたうちわは、たおやかではんなりとした浴衣女子のイメージです。
しかしプラスチックうちわにはそんなオーガニックな要素は何一つありません。無表情な無機質女子を彷彿とさせます。 「私が扇ぐ――風が動き始める――あなたに涼しさをもたらす。これは因果律で説明がつく――」といった声が聞こえてくるような気がします。
そんなプラスチックうちわですが、かつては家電量販店などでノベルティとしてよく配られていました。
すなわち、大量生産される広告の一種ともいえます。
しかしうちわの形をして生まれてきた以上、彼女もまたうちわであることには違いないのです。
――私は何のために生まれたのだろう?
家電量販店の宣伝のため? それとも納涼のため?
私はうちわの姿をした広告? それとも広告を刷られたうちわ?
どちらも大して変わらない、どちらにしても私はキミに嘘をついてる――。
自らの存在意義に起因する終わらない苛立ちを今日も心の奥に押し込めて、今日も彼女は半裸の持ち主に上下に振られているのかもしれません。
いつだったか「最終兵器彼女」という漫画がありました。
このケースではまさに「販促団扇彼女」ということなのです。
切ないじゃありませんか。