古代ギリシアには偉い人がたくさんいました。
 古代ギリシアという言葉の響きだけでも偉人がうようよいそうな感じがしますが、その中でも、科学者アルキメデスはとりわけ特別な存在だと言われています。

 特にアルキメデスのエピソードで有名なのは、共同浴場の湯船から水が溢れたのを見て、エウレカ(分かった)!と叫びながら全裸で全力疾走して家まで帰った、というものです。
 今で言うストリーキングであり、後のアルキメデスの原理の発見です。
 取り締まられたりしなかったのでしょうか。

 そう思ったのですが、上記「アルキメデスの原理」の古い版によると、実は古代ギリシアの男性にとって、全裸でランニングを行うのは日常的なことで、ごく普通の行為だったそうです。
 いくら古代とはいっても、全裸で走るものかしら……とも思いますが、古代オリンピックは全裸で行われたというのは史実として有名であり、美しい肉体を持つオリンピアンに憧れる少年たちがいてもおかしくありません。つまり、

少年A「オリンピアンみたいにやっぱり全裸で走りたい……で、でも小さいし……僕だけじゃ無理だ……」
少年B「……。仕方ねえなあー、俺もやるよっ!(脱ぐ)」
少年C「はだかんぼって楽しそう~! じゃあ、ぼくも!(脱ぐ)」
少年D「みんなで風を感じるのも……悪くないね……(脱ぐ)」
少年B「じゃあみんなで、パルテノン神殿まで競争な!」
少年A「みんな……あ、ありがとう!(脱ぐ)」

 という青春ドラマがあり、それ以降は全裸ランニングが少年たちの間でデフォルトになった……というストーリーがあっても違和感はないと思うんです。

 そんな美しく嬉しい光景ですが、しかしたった一つ、矛盾が生じていることにも気づきます。
 それは、「当時のギリシアでは日常的だったという全裸ランニングなのに、アルキメデスがそれをやったことだけは特別に逸話として残された」――という不自然さです。

 この矛盾を解決するには、どちらかが事実ではないとする必要があります。
 しかし裸エウレカはアルキメデス通にとってはポピュラーなエピソードでもあり、こちらを否定するのは気が引けます。
 かといって、はだかんぼランニングも否定できるわけがありません。
 そういうわけなので、ここはもはや「実は男性ではなかった」という結論で手を打つしかない気もします。

 天才少女科学者であり、しかもちょっとエキセントリックな性格だったとなると、クールジャパンでいうところのお約束というか、ストリーキングというよりもむしろサーヴィスカットという属性のものだった可能性もあります。古代ギリシアやりおったなという向きも出てきます。

 そんなアルキメデスさんの最期の言葉は、シラクサの街を占領したローマ兵に向かって発した「わたしの円を踏むな!」なのだそうです。
 全裸で街を駆けるという大胆さ、描いた円を踏まれただけで怒るという繊細さ、敵国の兵士に対峙して垣間見せた凛然たる意志の強さ――古代ギリシアに生きた少女のハートは、現代の少女たちにも瑞々しく受け継がれているように思えてなりません。