そういえばこないだまで「学校の入学時期を4月から9月にするといいのでは?」という話があったような気がします。
 おそらく後からこの文書を読むと「9月? なんで9月?」となるに違いありませんが、そのあたりの詳細は割愛します。おそらくいつの時代でも、のっぴきならぬ何かというものはあり、今もそうだ、というだけです。

 率直に言うと、この9月入学の件は、個人的にはあまりよい方針とは思えません。

 入学といえばもちろん入学式、そして入学式といえば校長先生のやたら長い挨拶です。
 すなわち校長先生が式辞を壇上で読み上げ、生徒全体にダメージを与えるというものであり、これは校長先生が生徒から蛇蝎の如く嫌われる要因のひとつになっています。
 そしてその冒頭では、決まって被子植物が引き合いに出されます。要するに生徒の様子を花に例えることで、何らかの効果を期待するというものです。何の効果を期待しているのかは未だ不明ですが、生徒にしかわからないことがあるように、おそらく校長先生にしか分からないこともあります。

 4月であれば、それはもちろん桜です。
 寒い季節に芽を形作り、冷たい空気の綻びと共に一斉に花を咲かせる――そんな様子を見守る人々の眼差しは、新時代を生きる人々を見つめる眼差しとまさに重なるものであり、校長先生も何ら違和感なく「満開の桜がまるで皆さんを祝福するかのように……」などといったフレーズを弄することができるわけです。

 しかし9月初頭といえば、まだまだ夏の範疇です。
 そんな時分に元気に咲いている花といえば、おおよそ〝ひまわり〟ぐらいしか思い浮かびません。
 しかしひまわりというのは基本「暑くても大丈夫な花」というイメージがあり、下手すると新入生に対し「3年間ひたすら耐えろ」「この世は力が全て」というストロングスタイルのメッセージを送ってしまいかねません。
 もう一つ夏の朝のイメージの強い〝あさがお〟もあるにはありますが、あれは元気に咲いているのは朝だけで、昼になると急に寝てしまいます。基本的に学校では昼から先も寝てはならず、やはり式辞での採用は見送る他ありません。

 こんな状況になってしまっては、校長先生が一種の悟りを開いてしまい「夏にはろくな花はないですが、造花やドライフラワーはいつの季節でもきれいです」とか言い始める可能性があります。
 祝賀ムードの中、自分たちが造花やドライフラワーに重ね合わせられるという前代未聞の事態。急激に漂い始めるディストピア感に生徒たちは(一部を除いて)震撼するに違いなく、来賓もハードボイルドな校長の世界観に度肝を抜かれる他ありません。

 もう一つの理由については後日書きます。